風船の思い出


小学校の頃の思い出です。学校の行事で風船を飛ばしました。
花と種と手紙をつけて。それとこどもの日に遊園地で出合った風船の思い出です。
今でも懐かしく鮮やかに甦ります。

風船飛ばし編

小学校の10周年記念として、全校生徒による風船飛ばしが行われました。
そこにメッセージや自分の名前を書いたり、
花の種を付けたりと、様々な趣向をこらして準備をしました。

当日は晴天で、校長先生の合図で一斉に風船を手放しました。
1,000個近くもの風船が一斉に空へと飛び立って
いく様子は夢のようで、風船がまるで生きていて、
自分の意志を持って昇っていくかのような
不思議な気持ちになったのを覚えています。

最初のうちは、自分の手放した風船を見失わない
ように一生懸命目で追いかけていましたが、いつの まにか分からなくなってしまいした。

誰かにちゃんと拾ってもらえるか、途中で割れたり
しないだろうかと、だんだんと小さくなっていく風船を、
不安と期待が入り交じったような気持ちでいつまで
もいつまでも見送っていたのを覚えています。

風船に付けた小さな紙には学校の住所が書いて
あったので、返事が来るのを今か今かと楽しみに待ったり、

花の種がどこかで芽を出すところに思いを馳せたりと、
風船を飛ばした後にも色々と楽しみがありました。

しかし、なかなか返事は来ないもので、いつのまにか
風船の事はみなの記憶から少しずつ薄れていきました。

そんな頃(3週間ほど過ぎた頃だと思います)、
1人の同級生宛に返事が来ました。

『花の種をまきました。ちゃんと育てるので安心して下さい。』
といった他愛の無い内容でしたが、みんな大はしゃぎでした。

返事をくれた人はどんな人だろう、と思いをめぐらせたりしました。

その後、返事は全部で2〜3通来たのみでしたが、
自分宛の返事は来なかったにもかかわらず、

あの出来事は今でも幸福と希望の象徴として
心に残る思い出となっています。

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子供の日の風船編

大人になった今でも、子供が手にするヘリウム風船を見ると
思い出すことがあります。

私が子供の頃は、両親に遊園地へ連れていってもらうという事は、
1年に1度か2度の大イベントでした。

普段忙しい父親が、ゴールデン・ウイーク
(子供の日)に、混んでいるのを承知で連れていってくれたものです。

そこでは、動物のぬいぐるみを着たり、ピエロの格好をした人が風船を
売っていました。

しかも、その風船は浮かぶのです。

浮かぶ風船を見たことがないわけではありませんでしたが、
今それを手にすることで、その日が『特別の日』として際立つように思えました。

そのため、その時に私は風船をどうしても欲しいと思いました。

しかし、欲しいと口に出して言うことが出来ませんでした。

いつかはしぼんでしまうのを知っていたし、
欲しがれば買ってくれるだろうことは分かっていました。

せっかく連れて来てくれた父親にわがままを言うのは、
いけないことのように感じていたのです。

しかし、風船に対する興味を捨てきれない私は父親に
いろいろと質問をしました。

「お父さん、風船はどうして飛ぶの?」

『風船の中に入っているガスが、空気よりも軽いからだよ。』

「風船はどうしてしぼんじゃうの?」

『少しずつヘリウムガスが漏れてしまうからだよ。
風船はゴムみたいに伸びるだろう。
ゴムも引っ張ると伸びるけど、もとに戻るだろう。

風船も、膨らんで伸びても、
もとに戻ろうとする力が働いているから、
少しずつヘリウムガスが漏れてしまうんだね。』

「じゃあ、気球はどうして飛ぶの?」

『熱気球はガスじゃなくて、空気をあっためて飛ぶんだよ。

気球の内側の空気を 外側の空気より熱くすると、
冷たい空気よりあったかい空気の方が上に行く
から それで持ち上がるんだ。』

「……!!(まじ??)」

ここで子供の私はピピッとひらめいてしまったわけです。

遊園地から帰ると、早速母親にビニール袋を1枚もらい、
台所のガスをつけて、その上にビニールをかざしました。

熱風を受け、ビニールは宙に浮かんだように見え ましたが、
外気との温度差もなく、ガス台に固定するすべもなく、思った通りの結果は
出ませんでした。

しかし、発想を父にほめられて気を良くした私は、
その後もへんてこな実験をしたりしては失敗していましたが、

私を励ましてくれた父と、物事を探究する楽しさを知る
きっかけをくれた風船には今でも感謝しています。

資料提供: 日本バルーン協会

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